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父親から承継した水産物販会社を3社のM&Aによって立て直した話①

Jさん人物紹介

今回のコラムでは、「サラリーマンが300万円で小さな会社を買う」サロンメンバーの一人であるJさんのスモールM&A買収劇を紹介します。

他のスモールM&A買収劇はこちらから

彼は、父親の突然の死によって、承継することとなった水産物販売会社を立て直した後、なんと3社も立て続けにスモールM&Aを実施しました。今ではそれらの会社の上場を目指しているなど、かなり活気のある人物です。

彼は、父親の突然の死によって、承継することとなった水産物販売会社を立て直した後、なんと3社も立て続けにスモールM&Aを実施しました。今ではそれらの会社の上場を目指しているなど、かなり活気のある人物です。

彼が一体どのような経緯でM&Aをしてきたのかについて、今回のコラムでは見ていきたいと思います。

彼が一体どのような経緯でM&Aをしてきたのかについて、今回のコラムでは見ていきたいと思います。

Jさんが1件目の事業承継を行ったプロセス

1-1事業承継を行うきっかけ

Jさんは、大学卒業後に東京に出て以降、カメラメーカーにてデジタルカメラや研究用の顕微鏡を売ったり、マーケティングをしているなど、普通のサラリーマンでした。

しかし、父親が遊びに来たとき、父親の会社の決算書を見せてもらったら赤字続きだとわかり、またそれに愕然とし、「家業が潰れたらまずい」と思った結果、会社を辞める決断をして、地元の九州に帰ってきました。10何年振りの地元も変わっており、また家業の仕事は右も左もわからない中、とにかく父親の会社の売上を上げようとしましたが、「会社が扱っている水産物が1種類だからもう1種類増やそう」と提案し、父親からは「そんなものはうちはいらない」と拒否される、、、という感じで、父親とはいちいち対立していました。

そんな父親との関係性に苦労をし続けながら、6年くらい一緒に会社をやっていた頃、父親が心筋梗塞で倒れて亡くなりました。また当時、Jさんはまだ会社のことをよくわかっていなかったので、税理士に相談してみたら、父親の持つ資産より会社の借入の方が大きいことがわかりました。

そして、そのような状況であったため、Jさんは会社はもう清算して、遺産も全部つがずに、またサラリーマンに戻るか、自分で起業するかというところまで考えていました。しかし葬式の当日、数名の従業員に呼ばれて、「僕たちはどうなるんですか」「息子のあなたが何とかしてください」という売り言葉を言われたのに対して、買い言葉で「じゃあやるよ」と言ってしまい、もう「開き直るしかない」ということで、会社を承継することにしました。

1-2事業承継後

そこから2年間はもうほんとにがむしゃらに、とにかく「息子に代わったから取引をやめる」と言われたくない一心で、利益を出してキャッシュを捻出することと顧客を失わないことを実践しました。

社員にはB/SとP/Lを見せ、うちにはこれだけ借金があり、頑張らないとヤバいと危機感を煽りました。

その結果、Jさんが入る以前はずっと赤字だった父親の会社が、ビギナーズラックもあって売上がポンと上がり、営業利益率も数%上げることができた結果、少しずつ利益が出るようになっていきました。さらに、その功績が、銀行にも認めてもらうこととなり、人を増やしたり、在庫の調整など節税的なこともしたりして、その後は利益率はあえて落とすような余裕と安心感が生まれるまで落ち着くことができました。

この会社の経営がひと息つくと、周りのことが見え出して、いまの事業だけをやっていていいのかと思うようになり、経営について勉強してみようと、ビジネススクールのグロービスに行きました。また、グロービスで学んで、会社の分析をしてみたら、メインで取り扱っている水産物は、中国が経済成長した影響を受けて、10年前と比べて仕入れ値が倍以上になっており、ほとんど市場消滅しているといってもいいレベル、という肝心なところに気づきました。

Jさんは、もともとカメラメーカーでサラリーマンをしていたことから、環境の変化に適応し変貌を遂げ大成功を収めた富士フィルムのように、「何かうちでもできないものか」と会社の強みは何だろうといろいろ考え始めました。

例えば、花のメインの販売先は結婚式場や葬儀場で、それは水産物の顧客とも共通している上、Jさんの会社には生鮮物の輸入ノウハウがあるため、そのノウハウを生かせれば、水産物以外に、たとえば花を輸入できるかもしれない、といったようなことです。

しかし、一方で、会社は生鮮トラックで水産物を生きたまま届けることを売りにしており、それは裏を返すと、トラックの行ける範囲しか売れないということになります。加えて、業務内容が水産物を生きたまま届けるのみで、付加価値もつくことなく、粗利がすごく低くなってしまっていました。

このように課題を解決する方法を模索する中で、JさんはM&Aのことをちらほら考え始めたのです。

Jさんの初めてのM&Aへの挑戦

2-1M&Aするきっかけ

Jさんは、会社が原料と流通の部分を担っており、そこに製造を担う部分を入れて、原料に付加価値をつけて販売できるようになれば、会社の利益率も上げられると考え、さらにいろんな会社をくっつけていけば、お客さんの数も増やせるし、クロスセルもできるし、商圏も広げられると思っていました。

そしてこれらを達成できるのが、「会社を買う」という選択だったということで、本格的にM&Aをやろうと考えました。

M&Aをしようと考えて、最初に出会ったのが、水産物の加工販売をしていたB社でした。

B社は九州地方ではあまりない会社だったので、潰れることはないだろうと思って買いましたが、正直、M&A1社目だったので、買いたい病みたいなところもあったそうです。そのため安易な気持ちで臨んだB社の買収では、いろいろと失敗をしてしまいます。

2-2M&A後

まず、M&Aには大手仲介が入っていたので、手数料も非常に高かった上に、買収価格も非常に高かったことが挙げられます。

加えてJさんの責任で、買ってすぐに売上が下がってしまったこともあります。それは、Jさんは、B社が扱う水産物のことも取引先との関係のこともよくわかっていなかったのにも関わらず、当時、その水産物の相場がじりじりと上がり始めていて粗利が圧迫されていたのに焦り、すぐに値上げをしたことが原因でした。

取引先に、値上げを通告すると、値上げ前にまとめ買いをされ、その後は買ってくれるところがどんどん減っていきました。スーパー、量販店向けの商品を値上げすることが、どれだけインパクトのあることか、Jさんはわかっていなかったのです。売上がどんどん下がっていくので、恥を忍んで前の経営者にも相談しましたが、売ってしまったものに、親身になってくれることはありませんでした。そして悪循環は続き、売上の減少が続いた結果、従業員の解雇に手をつけなくてはいけなくなり、雇っていた外国人実習生の一部に辞めてもらうことにしたのです。さらには、このときの解雇を、元の会社からB社に派遣していた社員に選定を任せた結果、B社の内情を知らずに外国人実習生の中のリーダー格をクビにしてしまいました。そしてその対応に外国人のリーダーは怒り、「あの会社はひどい会社だ」と言いふらして、残りの10人ほどの外国人実習生も、その後数ヶ月ぐらいで全員が辞めることになってしまいました。

結局、働き手が半分くらいになってしまい、それが品質にも悪影響となって表れて、食品に髪の毛などの異物が混入するなど、問題が多発するようになりました。

引き継いでから、「値上げをして品質は悪くなった」というひどい事態になったため、Jさん自身が直接B社に入ってイチからやることにします。そんなときに拾う神ありなのか、取引先にいた、その水産物一筋30年みたいな人が会社を辞めることになり、Jさんはその人に「頼むから入ってくれ」と本気でお願いをし、B社に入社してもらったのです。

その人が会社に入ると、さすがは30年の経験者で、B社はようやく売上を持ち直すことができました。

この話は後編に続きます。一体どのようにしてこの後2社を買ったのでしょうか?

後編はこちらからご覧いただけます


記事監修

三戸政和(Maksazu Mito)

2005年ソフトバンク・インベストメント入社。兵庫県議会議員を経て、2016年日本創生投資を投資予算30億円で創設し、中小企業に対する事業再生・事業承継に関するバイアウト投資を行う。


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